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Last update.> Feb. 2th, 2006





連載エッセー 【第16回】
「人材確保はお金から?」
衆議院議員  馳 浩
時代とともにおやつ事情も変わった?
自民党の文教族。
森喜朗前総理を筆頭として、票にも金にもならない教育分野に、これでもかと血眼になっている軍団、などと党内では呼ばれている。

今、そのなかで世代間論争が起きている。
その火種は、人材確保法。

「廃止を含めた見直しをすべきではないか」との経済財政諮問会議の提言に対して、
「その通り。むしろ見直すタイミングは遅かった!!」
と息まく若手文教族と、

「何をこしゃくな若僧どもめ。先人がどんな苦労をしてまとめ上げたかも知らないで、ほざいてんじゃねぇ!!」
と立法の経緯を持ち出して応戦する重鎮。

この対立構造ほど、浮き彫りになるにしたがって教育の「現実」が国民の前に明らかにされる論争はない。
まず、人材確保法が成立した時代背景。
それは昭和40年代のこと。

わが国経済は、昭和30年代の所得倍増計画を受けて爛熟の時代。
そんな世相を受けて、優秀な人材は企業の青田刈りにあい、学校の教員を志す者は「でも」「しか」先生と揶揄された。
つまり、「先生にでもなるか」「先生にしかなれないし」という程度の意識付けで教壇に立っていた傾向があったのだ。
 
 
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馳 浩
(はせ ひろし)


1961年5月5日富山県小矢部市生まれ。84年専修大学文学部国文学科卒業。星稜高校でアマチュアレスリングを始め、3年生のとき国体優勝。専修大学ではレスリング部の主将を務める傍ら教員免許を取得。卒業後、母校星稜高校で国語科教員として教鞭をとる。84年ロス五輪にアマレス・グレコローマン90kg級で出場。85年長州力率いるジャパンプロレスの門を叩きプロレスラーに転身。その後新日本プロレスの中心選手として、若手のコーチ、選手と会社を繋ぐパイプ役として活躍する。95年7月参議院議員に初当選。96年全日本プロレスに入団。00年6月25日衆議院議員選挙石川一区より出馬、当選。


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