天命だと3秒で決めた
30代の国会議員選出馬

  「馳さん、話を聞かせて下さい」
 とホームページにメールが入った。
 政治家として話が聞きたいのかと思いきや、そうではなかった。
 会社の社員研修の1つなのだそうだ。
 テーマは、「私が30代の頃」。自分の選んだ有名人の30代の頃の話を聞いてきて、それを報告書にまとめ、自分の意見をつけて提出しなければならないのだそうだ。
 Aさんのメールには私自身、心に突き刺さるモノがあったので、さっそく日程調整をしてお会いすることにした。
 Aさんは緊張しながらも素直に切々と30代のあり方について質問をぶつけてきた。
 「どうして政治家になろうと思ったのですか?」
 「北朝鮮との国交正常化実現と、教育改革の政策実現の目的を果たすためです」
 「その時馳さんは34歳でした。プロレスラーとして脂の乗り切った時期に、どうしてそんな決断をする背景やきっかけがあったのですか?」
 「プロレスラーとしてピョンヤンを訪問しました。北朝鮮の光と陰を目の当たりにしました。その時は民間交流でしたが、国交正常化は政治家の仕事と感じました。ピョンヤンから帰国して2週間後、当時自民党幹事長の森喜朗さんから出馬の打診を受けたのです。天命かな、と直観し、3秒で、私で良ければやらせていただきます、とお答えしました」

分かち合い、支え合って
生きがいの実現を


 「じゃ、決断した後はどうでしたか!」
 「そりゃ、数々の反省ばかりですよ。やったことに後悔はないけど、たくさんの人を巻き込んで選挙をしたことで、友人、知人、家族には大変な負担をさせることになりましたからね。反省と感謝とお願いのくり返しですから、毎日がプレッシャーとの闘いですよ」
 「プレッシャーに克てますか?」
 「圧し潰されそうになるときもありますよ。でも、今の仕事は、日本という国家の運命を担っているという自覚を持っていれば、その責任の重さとプレッシャーが比例しているのだと理解できます。ただ、ストレスはたまりますので、トレーニングで汗を流したり、子どもと遊んだり、趣味を持つことによって解消しています」
 「ふ―ん。じゃ、馳さんの目から見て、今の30代へのメッセージはありますか?」
 「結婚すること、出産すること、子育てすること、親の面倒をみることについて、どうも、損か得かで判断するような傾向が一部にあると思います」
 「それは政治の責任もあるんじゃないの?」
 「それも、あります。でも、政治家を悪者に仕立てあげることで、1人ひとりの責任を棚上げにすることは意味がありませんよね」
 「具体的に言うと?」
 「負担と行政サービスの見合い、ですよ」
 「見合い?」
 「そう。結婚すれば、喜びは倍増し、悲しみは分かち合える。子どもが産まれれば、家族の思い出がさらに増え、無償の愛情とは何なのか、を理解できます。親の面倒をみるのは、確かに面倒なこともありましょうが、必ずいつかは自分も通る道であるということを身をもって知ることになります。これらは、損得勘定で量り切れるものでありません。だからこそ、生きがいとか、愛情などを生きる指針にすべきなのです」
 「それと見合いがどう関係あるの?」 「生きがいを求める生き方の結果として、日本の社会保障制度があるということですよ」
 「どういうこと?」
 「支え合いですよ。医療費の負担、育児の負担、教育費の負担、老後生活費の負担、介護の負担は、いずれも誰かが支え合っていかなければならないでしょう。自己負担だけではとうていやっていけないのです。無償の愛と、自己負担と、税と、保険料との見合いこそが、30代へのメッセージです」


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馳 浩(はせ ひろし)
1961年5月5日富山県小矢部市生まれ。84年専修大学文学部国文学科卒業。星稜高校でアマチュアレスリングを始め、3年生のとき国体優勝。専修大学ではレスリング部の主将を務める傍ら教員免許を取得。卒業後、母校星稜高校で国語科教員として教鞭をとる。84年ロス五輪にアマレス・グレコローマン90s級で出場。85年長州力率いるジャパンプロレスの門を叩きプロレスラーに転身。その後新日本プロレスの中心選手として、若手のコーチ、選手と会社を繋ぐパイプ役として活躍する。95年7月参議院議員に初当選。96年全日本プロレスに入団。00年6月25日衆議院議員選挙石川一区より出馬、当選。