第6回 経営手腕と教育手腕
ある民間人校長の自殺 校長・教頭になるための必須要件だった教員免許状が、2000年の学校教育法施行規則の一部改正で、必ずしも教員免許状をもたなくとも可能になった。
とかく閉鎖性が問題になりがちな教員の世界ではこの措置は好評で、現在では、23都道府県で小学校から中学校まで計63人が配置され、その好評さが各地で広く紹介されて大きな話題になっていた。
ところがこの3月、広島県尾道市の市立高須小学校長慶徳和宏さん(当時56歳)が校舎西側の非常階段手すりにかけたロープで首をつって自殺しているのを児童の親が見つけて、「民間人校長」がまたまた違った意味で話題を集めている。
大きかった期待と現実のずれ
慶徳元校長は、定年前に出す出向志望先に「学校関係」と書いていたようだが、具体的にどのような再就職先を考えていたのかは明らかでない。長年の銀行員生活から民間人校長に転身しようとは思いもかけなかったことかもしれない。
採用に当たっては、県教委の面接で「子どもが元気に育っていく姿を見ることに情熱を注ぎたい」と答えたことや、小論文で「実生活の多方面で活躍できるたくましい人材を小学校のころから育てる」と書いたことが「民間人校長」としてふさわしいと評価されたようだ。銀行員から教員に転身した採用時点での慶徳元校長の意気込みが感じられる。
しかし、慶徳元校長の意気込みは、残念ながらそう長くは続かなかったようだ。この年の5月には早くも市教委に病気休暇を申し出ている。素人の校長に代わって学校をこまごまとリードしてきた頼りの藤井教頭が脳出血で倒れたのがその大きな原因のようだ。実際学校をこまごまと切り回しているのは教頭で、校長がいなくても何とかなるが、教頭なしでは学校は回っていかない。そのうえ不運なことに2人目の教頭も間もなく病気で倒れている。
このころ慶徳元校長は尾道市教委の職員に「子どもとどう接していいかわからない。学校は会社と組織がまったく違う。戸惑っています」と弱々しい口調で語ったといわれる。採用後1月あまりで学校と企業の大きな違いに圧倒されたようだ。企業ではトップの言うことは多少の異論があってもたいてい通るが、学校ではそれぞれ教員が専門職を自負し、まして一言居士が多い地域になるとなかなかそういうわけにはいかない。
校長は「専門職」か
学校に「校長」という職制が実際に生まれたのはずいぶん前のことだろうが、もともとはその学校に配置された教員(訓導)のなかから選ばれるのが原則で「校長」という独立した「職」になったのは国民学校令(1996年)のことだから、比較的新しい。このころは、校長の必要が生まれ「学校は授業さえしていれば良い」という理屈が通らなくなった時代だろう。「校長」は、比較的大きな学校でなければ授業を担当しなかった。授業をしない代わりに複雑になった学校の組織の管理・経営に当たるのが職務である。
しかし、各学校に校長という職制が生まれると、当然のことながら「教育一筋」何十年という、教師として優れた者が「校長」として選ばれるようになった。「良い先生なら、校長としても立派な校長になれるはずだ」という「常識」がはびこり、学校と実社会との分離が深まった。
民間人校長は、この閉塞した学校社会に新風を吹き込むはずのものだったが、必ずしも当初期待したほどの効果を上げられなかったようだ。企業の管理や経営と学校の授業とはまるで違う。企業の管理や経営はあくまでもお客様から利益を上げ、その効果を図るものだが、学校ではそういった意味での効果は期待しない。このごろ学校効果を数字で示そうという動きがあるが、実際にはなかなか難題のようだ。
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