「ニート」から「希望学」へ。
希望無き社会へ、研究者からの教育提言。
「理不尽なことが多い社会になじんでいくには、
訳の分からない教育や混乱体験が大切だと思う」
──通学や職探し、職業訓練もしない若者「ニート」が今や日本に64万人以上いると言われています。玄田助教授は「ニート」が日本に多数存在する事実を広めただけでなく、中高年労働者層が若年雇用を奪っているなど社会構造の問題を指摘し、大人側の支援の必要性も説いてこられました。
今の若者とそれを取り巻く環境をどのように見ていますか。
玄田 例えば今、大学の多くが生き残りをかけて「社会に即、通用する人材を育成する」といった実践力養成をうたい文句にしていますよね。
そのために英語やコンピュータの習得、資格試験対策を必死に行う大学もあるようです。
しかし、僕が幅広い企業人への調査や交流から感じる事実は、社会では資格や小手先のスキルだけを求めてはいない、ということ。
それらがすぐに通用するほど社会は単純じゃないし、甘くないところです。
IT企業や金融業界の一部では即戦力を求めていて、若くても成果を出せば多額の報酬を得られる場合もあるけど、そんな企業はごくわずか。
多くの企業では将来「化けそう」な、潜在能力や伸びしろのある人材を求めていますよ。
ただ学生は就職難を背景に「自分がこのままではニートやフリーターになってしまうかもしれない」という不安を抱えて、アルバイトで稼いだお金を資格取得のための費用につぎこんでいる。
昔以上に過度のプレッシャーを感じているのは確かですね。
僕たちのころまでは就職できなければ「自分が怠けていたから」と自分を責めたものですが、今の学生は「こんなに勉強も資格取得にも努力したのに、就職がうまくできない。どうしてだろう?」と混乱したり、疲弊したりしてるんです。
――社会に出る前のワンクッションが必要な気もしますが、教育現場はどう対処したらいいのでしょう?
玄田 高校や大学時代には、できるだけ訳の分からないことに触れさせることだと思います。
というのも社会は嫌なことや矛盾したこと、意味不明なことが多い。
例えば思いつきでものを言う上司の指示に振り回されたり、理不尽さでいっぱいです。
そんなところで傷つき、希望をもてなくなってニートになる者もいます。
その意味では、臨機応変に状況に対応できるタフさやストレス耐性を身につけることが大事です。
学校の授業もある意味つまらない、分からないけど、粘り強く出席し続けることによって赤点を取らずに卒業となり、それがいいトレーニングになる。
いい先生はえてして、訳の分からない授業を行うものじゃないですか(笑)。
教師は広い意味のサービス業であり、自己満足・自己陶酔していては問題だけれど、先生の言ってること、やってることは何だか訳分からないな、でも面白そうだから追求してみようかな、そう思わせることが大切だと思うんです。
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